第29回介護弁護士コラム 認知症利用者の徘徊・行方不明と施設の見守り義務

夜間の見回りの際、いつも同じ場所にいるはずの利用者さんのベッドが空になっていた——そんな経験をされたことがある施設の方は少なくないのではないでしょうか。認知症の利用者さんが施設の外へ出てしまう「徘徊・行方不明」は、どれほど丁寧なケアを心がけていても、完全にゼロにすることが難しい出来事のひとつです。スタッフが必死に施設内外を探し回り、警察に届け出て、ご家族に連絡する——そうした対応に追われた経験をお持ちの管理者の方も多いことと思います。

問題は、こうした事故が起きたとき、施設側がどのような法的責任を問われる可能性があるかという点です。「精一杯対応したつもりなのに、なぜ施設が責任を取らなければならないのか」と感じる方もいるかもしれません。しかし、法律の世界では、施設が「どのような体制を整えていたか」という点が厳しく問われることがあります。

今回のコラムでは、認知症利用者の徘徊・行方不明が発生した場合に施設が負う可能性のある法的責任の内容と、その責任を軽減・回避するために日頃から取り組んでおくべき実務上の対応策について解説します。施設の経営者・施設長の方に、ぜひ参考にしていただければ幸いです。

なぜ徘徊・行方不明事故は法的問題になるのか

施設と利用者の間にある「安全配慮義務」とは

介護施設が利用者と締結するサービス利用契約には、明文で書かれていない場合であっても、「安全配慮義務」と呼ばれる義務が含まれていると解されています。これは、施設が利用者の生命・身体の安全に配慮しながらサービスを提供しなければならないという義務のことです。平たく言えば、「お預かりしている利用者さんが危険な目に遭わないよう、合理的な範囲で対策を講じる義務」といえます。

認知症の利用者さんは、自分の行動の危険性を判断する能力が低下していることがあります。そのため、施設側には通常の利用者よりも高い水準での見守り・管理体制が求められる場面もあります。徘徊・行方不明が起きた場合、ご家族や相続人から「施設がきちんと見守っていれば防げた事故だ」として、損害賠償請求がなされるケースが実際に生じています。

裁判ではどのような点が争われるのか

徘徊・行方不明事故をめぐる裁判では、主に以下のような点が判断のポイントになる傾向があります。

  • 当該利用者に徘徊のリスクがあることを施設が認識していたか(またはアセスメントで認識できたか)
  • そのリスクに応じた具体的な見守り・防止策が講じられていたか
  • 夜間・人員が手薄になる時間帯の巡回体制が適切だったか
  • 出入口の施錠管理や離設防止設備が整備されていたか
  • 行方不明が判明した後の捜索・通報対応が迅速だったか

裁判所は、「完全に防ぐことが不可能だったかどうか」ではなく、「その施設として合理的に取り得た対策が講じられていたかどうか」という観点から判断することが多いです。そのため、「人手が足りなかった」「珍しいケースだった」という事情だけでは、責任を免れることが難しい場面もあります。

放置した場合に生じうるリスク

損害賠償請求・訴訟リスク

徘徊・行方不明の事故で利用者さんが死亡したり、交通事故や転倒などで重傷を負ったりした場合、施設に対して多額の損害賠償請求がなされる可能性があります。裁判例の中には、施設側に数百万円から数千万円規模の賠償を認めたものも存在します。特に、過去に徘徊歴があったにもかかわらず対策が不十分だったと認定されたケースでは、施設側に不利な判断が下されやすい傾向があります。

また、訴訟に至らない場合でも、ご家族との示談交渉が長期化したり、感情的なトラブルに発展したりすることも少なくありません。そうした対応に費やす時間・労力・精神的負担も、施設経営に大きな影響を与えることがあります。

行政処分・指定取消しのリスク

重大な事故が発生した場合、都道府県や市区町村の行政機関による実地指導・監査が入ることがあります。その結果、運営基準違反が認められれば、改善勧告や業務停止命令、最悪の場合は指定取消しといった行政処分を受ける可能性もあります。こうした処分は施設の信頼性に直結し、入居者の減少や事業の継続に深刻な影響を及ぼしかねません。

施設として日頃から取り組むべき実務上の対応策

アセスメントと個別ケア計画への落とし込み

まず重要なのは、徘徊リスクのある利用者を正確に把握し、それをケア計画に反映させることです。具体的には、以下のような取り組みが考えられます。

  • 入居時および定期的なアセスメントで、認知症の程度・徘徊歴・昼夜逆転の有無などを詳細に確認する
  • 徘徊リスクが高いと評価された利用者については、個別の見守り計画や対応手順をケア計画に明記する
  • 担当スタッフ全員がその情報を共有できるよう、引き継ぎ体制を整える
  • リスク評価の内容と対応策を記録として残しておく

「記録に残す」という点は非常に重要です。万が一トラブルになった場合、「施設がリスクを認識して対策を講じていた」という事実を証明できるのは、適切に作成・保管された記録だけです。

ハード面・ソフト面の両面から離設防止対策を整備する

見守り体制は、設備などのハード面と、人的な対応・マニュアルなどのソフト面の両方から整備することが望ましいといえます。

ハード面の対策例としては、以下のものが挙げられます。

  • 出入口へのセンサーアラームや電子錠の設置
  • カメラによる共用部・出入口の監視
  • 夜間帯に外部から施錠できる扉の整備
  • 徘徊リスクの高い利用者へのGPS端末や離床センサーの活用

ソフト面の対策例としては、以下のものが考えられます。

  • 夜間巡回の頻度・手順を明確にしたマニュアルの整備と定期的な見直し
  • 行方不明が発覚した場合の初動対応フロー(施設内捜索→警察への届け出→ご家族への連絡→近隣への協力依頼)の明文化と訓練
  • 地域の民生委員や近隣事業者との連携体制の構築
  • スタッフへの定期的な研修と意識啓発

完璧な対策というものは存在しないかもしれませんが、「やれることをやっていた」という事実の積み重ねが、法的リスクを大きく軽減する可能性があります。

ご家族との情報共有と同意取得を丁寧に行う

入居時の段階で、徘徊リスクとそれに対する施設の対応方針についてご家族と十分に話し合い、書面による同意を取得しておくことも重要です。「施設側が一方的に管理する」という姿勢ではなく、「ご家族と一緒にリスクを共有し、対策を考える」という協働の姿勢が、後々のトラブルを防ぐうえでも大切です。

また、万が一事故が発生した場合には、ご家族への連絡・説明を誠実かつ迅速に行うことが求められます。事実関係の説明を後回しにしたり、曖昧な対応をとったりすることが、かえってご家族の不信感を高め、法的紛争に発展するリスクを高めることにもなりかねません。

おわりに

認知症利用者の徘徊・行方不明事故は、どの施設にとっても他人事ではない、切実なリスクです。施設として誠実にケアに取り組んでいても、事故は起こりうるものです。だからこそ、日頃からリスクアセスメントを丁寧に行い、対策を記録に残し、スタッフ間で情報共有できる体制を整えておくことが、法的リスクを最小化するための最も有効な備えになります。

「何か問題が起きてから相談する」のではなく、「問題が起きる前に体制を整える」という姿勢が、施設を守り、利用者を守り、スタッフを守ることにつながるのではないでしょうか。今回のコラムが、皆さまの施設での取り組みを見直すきっかけのひとつになれば幸いです。

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